カテゴリ:その他( 358 )

「海外旅行」(1)

 高校生になると、「大人へのステップを踏み出した」と勝手に理解する。
親に縛られた世界から、単独行動が可能となり、行動範囲、人間関係、はたまた多様な情報等、中学時代とは格段の差があり、体中が開放感で疼きだす。
 今考えると、傍目には子供丸出しだったと思うが、己は一端の大人気分で生活していた。
勉強より遊び、色々と書きたいことは山ほどあるが、ここでは外国生活への憧れについて記憶を呼び戻してみたい。
 1米ドル360円、1英ポンドが1,000円の時代である。
9割以上をアメリカの情報に頼っていた時代、TVドラマ、映画等を見るにつけ、アメリカの豊かさは別世界であり、日本の未来には決してありえない夢のような生活と映った。
 昭和30年代から、日本も技術立国の一歩を踏み出し、三種の神器も各家庭に入り、食生活もかなり豊かになっていったように記憶する。(?)
 残念ながら学生時代は留学するほど裕福でなかったし、その当時ワーキング・ホリデイの制度も無かったし、また卒後製薬会社に入ったため海外に派遣されるようなことも無かった。
 しかし、海外旅行の夢は持ち続けていた。
結構な給料を貰っていたので、1年に1回は海外旅行を楽しんだ。
そして、47年退社後、貯蓄していた金を持って、羽田から従兄弟一人に見送られてヨーロッパへ旅立った。
 その時代では一番安いと思われたアエロフロート(ソ連)のイリューシン21(?)に乗っかってモスクワ経由で真冬のコペンハーゲンに降り立った。飛行機は振動も騒音もかなりのものだったように思う。
 気分的には羽田を発つまで不安で一杯だったが、飛行機に乗ったとたんスーッと気分が静まり不安が消し飛んだように記憶している。
 それから長いヨーロッパ生活になるが、デンマーク→ドイツ→オランダ→英国(長期)→アイルランド(長期)→フランス(1ヶ月)と廻るが、ホームステイが大半で旅行中は全てユースホステルを利用した。

 話題に行き詰った時、たどたどしい記憶を頼りに綴っていきたい。
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by 1944tourist2004jp | 2009-06-10 13:56 | その他 | Comments(0)

「ブログへの書き込み」

 中・高生時代「国語」の成績は馨しくなかった。漢字にも当然弱い。
 文章を書く時、ワープロが普及するまではいつも辞書をそばに置いていた。
そして、加齢とともにその必要性が増す時期に運良くワープロの出現である。
妻や子供に顰蹙を買っていた、「送り仮名」や「ず」と「づ」の使い分け等はPCが助けてくれる。
単語さえ知っていれば、漢字を忘れていても辞書の代わりに文章を書ける。
 ブログを書きながら、蘊蓄を垂れる積りも無いし、難しい漢字を知ったかぶりする必要も無い。
しかし、PCが出してくれる漢字を思う存分載せていきたいと思っている。
それは、漢字能力の無い己への戒めであり、自分なりに満足できる文章を書きたいという気持ちの表れである。
また、思い出せない漢字、初対面の漢字に改めて出会う喜びを感じている。
 今後も可能な限り難しい漢字を使いながら日記風にブログを書き続けていきたい。
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by 1944tourist2004jp | 2009-06-10 00:01 | その他 | Comments(0)

「我が家の愛犬」

 現在の所に移り住んで22年、長女・長男は別家庭を持ち、末娘も一人前の大人として独り立ち、住居も補修や改築を必要に応じてしてきた。
 現在、二人が住むに支障は無いが、最近は建具に歪が出てきたように感じる。
また、無視はしているが、飛び込みの改修業者に言わせると屋根の修理も必要らしい?
年金生活なので大金を右から左へと回すことはできないし、余程のことが無い限り我慢しようと思っている。
 まずは日々の生活に密着している電気製品が優先される。2011年地デジ対応TVの買い替え、DVDやレンジも耐用年数が来ている。
いずれにしても成り行き次第、成るようにしか成らないのである。
 本題に戻ろう。
        (朽ち果てそうな小屋を見ると14・15歳かな)
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 転居してきて初めてのクリスマス、子供達に念願の子犬を買ってやることにした。
いずこの家庭でも経験しているであろうが、子供達は捨て犬・猫を持って帰って来たこともあり、当然大喜びであった。
 どのような経緯で犬種がシェットランド・シープドッグになったか覚えていないが、知り合いの獣医さんに相談して安く分けて頂いた。
1ヶ月齢でその当時で4万円だったと思う。
雄・雌については、後々のことも考えて私だけの判断で決めたように思う。f0201348_1121034.jpg
 茶系統のシェットランドで、名前は当時4年生だった長男の一言で「桃太郎」と決定したが、家庭内では死ぬまで「もも」と愛称で呼んでいた。
 3年前18歳と2ヶ月、年もせまった12月30日に永眠した。
臨終の時は応接間に末娘が作った布団と枕に寝かせて、末娘と3人で見守った、私は瞳孔の状況から聴診器で心音が止まるまでずっと聞き続けた。
 (奥の白い生き物はモルモット)
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そして、最後は独立している上二人も居合わせ、家族全員で見送ることができた。
 事務所の同僚の伝で、「黄檗宗」のお寺が経営している動物霊園で、花と家族に見守られて旅立った。
1日遅ければ大晦日、2日だと正月、家族同様あまり賢くなく芸もなかったが、最後に気を利かしてくれた家族の一員だった。
 末娘は就職面接で「得意なことは?」と聞かれ、「老犬の世話です」と答え無事合格したらしい。
一番可愛がっていたのは末娘で、バイトで稼いだ金で毛刈バリカン(今は私が使っている)を買ってやったり、最後まで色々と本当に面倒見ていた。
 紙幅が足りないので、いずれ近いうちに写真を捜して続編を書くことにしたい。
                                  (雪の日ガレージの上で)f0201348_11222880.jpg


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by 1944tourist2004jp | 2009-06-09 09:48 | その他 | Comments(0)

「喫煙と禁煙」

 煙草との付き合いは、20歳と同時に始まった。
読んだ方には時効にして頂きたいが、受験勉強から解放され一端の大人気取りで始めていたかも知れない。
 学生時代は値段的にも「いこい」専門で、社会人になっても庶民的な「ハイライト」で通し、愛煙家の「ピース」がポケットに入っていることは無かった。ヨーロッパにいる時は、葉巻の味がチョイする確か「ジタンズ」という空色の箱のフランス煙草を愛煙していた。これは結構安かったような気がする。
 映画等で見る吸い始めの一本は、大概咳き込んで捨てるようなシーンであるが、私の場合咳き込むことは無かった。勿論美味しいとも思わなかった。
 高校生の頃、兄貴の煙草を盗み吸いして、お袋に怒られた事が数回あった。
免疫と表現できないかも知れないが、何かしら体に馴染んでいたのだろう。
それ以来35歳まで付き合った。
 しかし、15年の喫煙生活の中で3乃至4回ほど禁煙している。
禁煙する時は体に異常があるのでなく、何となくである。
「きっかり1年間止めてみよう」と思い立つのである。
その間、初期段階では必ず数回の誘惑に駆られるが、その時は「きっちり1年後には必ず元の通り喫煙する」と自分に言い聞かせていた。
 35歳の時、甥の高校受験があり、人知れず私が一生禁煙をすることで祈願したのである。
その時も過去の経験から自信はあったし、1年後に喫煙したいとも思わなかった。
 それ以来、酒席の場で友達から1本貰うことはあるが、翌日には煙草の臭いが気になって吸う気にならない。
 今も変わらない。
麻雀や酒席で臭いを家に持ち帰るが、次の日はもう堪らない。
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by 1944tourist2004jp | 2009-05-30 11:02 | その他 | Comments(0)

「平成21年5月の日々」

 娘が2歳の孫を連れて「お産」で帰って来て、私の1日もそれなりに多忙である。
私以上に妻は大変だから致し方が無い。
 勿論、孫の誕生とお世話だから疲労感は無いが、今まで勝手気ままに過ごしていたので何となく不自由に感じている。贅沢言えないか!!!。
折角だから日々どのような生活をしているか簡単に残しておこう。
 別居している末娘も、1ヶ月超の短い期間だが姉や甥、姪と暮らせるということで、今は自宅から通勤している。二人暮しから一気に6人の大所帯である。
 7時半に床を抜け、8時前後には末娘を最寄の駅まで送って行く。
その後8時半頃に朝食を取ることになる。
 今は妻、娘、孫の4人で食卓を囲むが、いずれ娘が孫二人を連れて帰ると末娘も居なくなるので二人だけの食事になる。食後の一服は煙草を吸わないので横になって、TVのニュースか新聞を読む。
 その後、10時半頃に孫を車に乗せて運動公園に行き、2時間程相手をしてやる。
ボール蹴り、色んな遊具の補助、そして三輪車に乗せて2km程度押してやるが、その合間を見つけてスクワットを200回する。
 12時を過ぎると、まだ遊び足りなさそうな孫を誤魔化し誤魔化しして家に連れて帰る。
午前中でも日差しは結構強く孫はかなり日焼けしている。2時間も遊ぶと十分である。
昼食後は自分の時間となる、ネット碁を楽しみ、話題を思いつけばブログを書き、畑の管理がある時は2時間程度世話をする。
 7時ごろから晩酌に入り、そのうち晩御飯になるが、私は料理ができないので後片付け専門である。
夜は晩酌とTVが普段の生活であるが、今は孫中心の生活のため、TVはままならず音量も番組もそれなりに制限されている。
 6月上旬に帰ってしまい、一気に二人の生活となる。その時の実感や如何に?
できたら6・7・8月は月に3回程度山登りでもしたいと思っている。
 
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by 1944tourist2004jp | 2009-05-29 14:59 | その他 | Comments(0)

「自家療法」

 今月は毎日書けるかなと思っていたが、ついつい三日間さぼってしまった。
話題もさることながら、この時期に軽い風邪をひいてしまい、大したことも無いのにPCの前に座る気持ちになれなかったのである。
 当然のことであるが、新型インフルエンザではない。
何故なら、外国旅行は勿論のこと孫の世話等で忙しく国内旅行もしていないし、人ごみはせいぜい買い物程度である。
また、症状も微熱程度だし、若干喉がいがらっぽく咳が出る程度である。
副鼻腔炎の薬を処方して貰っていたので、その延長線上で快癒した感じである。
 我が家では病院にかかった時、処方された余分の薬は処方箋と一緒に1年ほど保管している。
そして、さほど重篤でない呼吸器病や消化器病は保管した薬を出してきて服用している。
それで概ね症状が改善し、病院に行くことも無い。
 処方された薬は、自分の体で治験済みなので副作用の心配も無く程度に応じて服用している。
初期症状が軽度であれば、回復のために体が生理的に要求している作用だから、1日は放置した方が良いのではないかと思っている。
そして、回復の兆しが無い時に保管してある薬を出してきて服用する。
 抗生物質や解熱剤だけは症状や服用時期について気をつけなければならならないが、対症療法薬は食欲と自然治癒力を上げるためにも服用している。
 医者が聞いたら如何様に思うか知らないが、一疾病で過分に処方してくれる薬を捨てるわけにもいかないし、軽度の呼吸器病や消化器病は、病院で時間待ちしなくても自家療法で十分である。
しかし、孫だけは自家療法で済ますことができない。
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by 1944tourist2004jp | 2009-05-28 15:26 | その他 | Comments(0)

「還暦前後の読書」

 現役時代は事務所の近所に大きな本屋があり、また電車通勤をしていたので社会・経済・歴史等の本を週に2冊ほど読んでいた。
 そして、退職が近づくにつれて事務所の書類棚は書類と本の割合が逐次逆転し、退職直前には私的な本だけとなり、僅かに残った書類は廃棄して、溜め込んだ本だけを家に持ち帰った。
 退職3年前からは上司に反対されても、中央行政や他県関係団体との主要な会議・出張は次代の情報交換の必要性から部下に任せ、私は計画書・会議資料作り・下部会議や研修会の事業説明に専念していたし、文書の殆どはパソコンにセイブしていたので事務書類は極僅かとなっていた。
 退職後の公益法人も電車通勤をしていたが、出張が多く週にせいぜい1・2回程度だったので手持ちの囲碁か宗教本を繰り返し読んでいた。 
 元来、宗教や慣わし(しきたり)に縁遠く、子育ての中でも全く縛られることはなかった。
しかし、還暦となり偶々妻が持っていた簡明な仏教の本を手にしたこと、そして偶然であるが同じ職域の後輩が神主をしており、還暦の厄払いをしてくれたことから一層興味を持つようになった。
日々彼岸に近づいているからといって、宗教に縋りたい気持は更々無い。
65年の人生経験、特に人間関係で大いに共感できる教えがあるからである。
 そして今は、「山登りの本」を枕にして、寝床に入る時には神話に始まる「神道」と「仏教」の本を厭きもせずに繰り返し読んでいる。
 孫をそばにおいて笑ってしまうが、情けないことに読んでも読んでも内容を忘れてしまう。
幼児に童話を繰り返し読んでやるのと同じである。
 若い頃にもう少し興味を持っていたら、より奥深く理解できたかも知れないし家庭生活に応用出来たかも知れないと後悔している。
無限の能力を持っている小・中学生時代から、宗教に限らず、あらゆるジャンルの本に親しんでいれば人生が大いに変わっていたかも知れない。
 子供達にそれなりの本を推薦しているが、どのように感じているか分からない。
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by 1944tourist2004jp | 2009-05-24 09:26 | その他 | Comments(0)

「バラの剪定」

f0201348_17595768.jpg 4月中旬から下旬にかけ満開となった白いバラ。
 当初、和室の西日を避けるために妻が白いバラを植えたが、数年後に燐家を挟んでバイパス道路が走るようになって一層重宝するようになった。
 旺盛に咲き誇るため最盛期には隣家の駐車場に覆いかぶさるように白いバラが一面に咲く。
f0201348_1811915.jpg 見盛り期は良いが、花が落ちると大変である。
私どもにとっては窓のおしゃれな緑の遮蔽物で全く問題ないが、燐家の人にとっては覆い被さった棘々のバラは大いに邪魔物である。
f0201348_1825119.jpg 来シーズンに、見栄えをよくするため、そして燐家に迷惑がかからないよう剪定しなければならない。
 全くの素人がするので、ブログに出すにはお恥ずかしい丸坊主風の代物であるが、また来年は同じように咲いてくれるから不思議である。
 もうすぐ紫陽花が咲いてくれる。

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by 1944tourist2004jp | 2009-05-18 16:43 | その他 | Comments(0)

「キウイ」

f0201348_166273.jpg  末娘が小学校の頃、私が知らないうちに妻が路地に植えたキウイがガレージの上に這い上がり、個数は少ないが毎年のように実をつけている。
 キウイは本来中国原産でニュージーランドで品種改良された蔓性の落葉木で、かなり大振りの葉がつき夏には適当な日陰を作ってくれる。
 昨年も70個ほど収穫があった。当初雄・雌の両木を植えたが、雄は全く花をつけない。原因は全く判らない。そこで、いつも妻の友達の家から雄花を貰って来て、手で受粉させている。今年もかなりの雌花がついたので、脚立に乗って雨が降る前に慌てて受粉作業をする。
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f0201348_16273976.jpg せいぜい100個程度の収穫でもかなりの枯葉が長期間に落ちる。
そこで、迷惑をかけている下の家にもお裾分けしたり、子供達に上げると残りはほんの少しである。
 私達は、毎朝食卓に並ぶカスピ海ヨーグルトに乗せ味を楽しんでいる。
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by 1944tourist2004jp | 2009-05-16 15:58 | その他 | Comments(0)

「副鼻腔炎」

 酒席の日にして、今朝も前頭部が痛い。(5/15)  
ここ1週間同じ症状である。朝、起抜けから前頭部が痛くなり、午後には全体がズーンと痛くなる。
「アレルギー性鼻炎」のところでも書いたが、鼻炎の症状が3日ほど続き、乾燥と光化学スモッグで決定的になったようである。
 今まで「副鼻腔炎」で病院に行ったことは無いが、今回は己の診断確証のために「耳鼻咽喉科」へ久し振りに行く。
 案の定である。レントゲンにより前頭洞に微かに白い影を確認して、医者からも「副鼻腔炎」の診断を貰う。
当然であるが、抗生物質ほか対症療法薬数種を処方して貰う。
昼食後、痛み止めも含め服用すると頭痛は無くなくなり、酒席の準備が整う。(黒毛和種の最優良牛)                                   f0201348_1212473.jpg 余談であるが、この「耳鼻咽喉科」では若い先生自ら「耳掃除」もしてくれる。
数ヶ月前、誤嚥のように噎せることが続いたのでここへ来たが、その時も同じように「耳掃除」をしてくれた。
病状の説明もきちんと親切にしてくれるし、気持ちの良い病院である。
 昨日書けなかったので、今日は三本立てとなった。
 レントゲン写真がは無いので、挿絵は5月11日の「アレルギー性鼻炎」の項に続いて、美味しそうな黒毛和牛を載せよう。                      
                               
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by 1944tourist2004jp | 2009-05-16 11:44 | その他 | Comments(0)