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「孫と九重山群へ」(2)

「孫と九重山群へ」(2)_f0201348_20422548.jpg 兄弟とそれを許した親に甚く感心しながら、私の歩幅も伸びて行く。しかし、ここに来て孫の歩調が何かしら怪しくなってくる。
汚いモスグリーンと白と硫黄色が入り混じった毒々しい硫黄山の山肌を正面にして、右側は落石防護壁の林道、おまけに路面は簡易舗装と彼にとっては退屈至極な山路である。

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「孫と九重山群へ」(2)_f0201348_20465671.jpg振り返って、「平坦な所だから、もう少しシャキシャキと歩け!」と発破をかけると、「これが普通の歩き」と思わぬ反発の言葉が返ってくる。




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「孫と九重山群へ」(2)_f0201348_20501753.jpg 陽は真上に差し掛かり一段と暑さが厳しくなってくる時間帯、そのような中で彼の歩調に疲労の気配はない。単に気分的な問題だと推量し、「男なら愚駄々々言わずに早く来い!」と、有無を言わせず命令口調で突き放す。私は彼が2年生の時に、宝満山を楽々と登ったことでその脚力は分かっている。

 硫黄山からの涸沢を渡り、ガレ場の登りに「もう直ぐ昼飯だ!」と、若干甘い言葉を差し向けると、案の定意気軒昂とまではいかないが歩調に力が漲ってくる。
 両手を使いながら上がって来るガレ場は、身の軽い孫にとって危険性は無い。気になるのはポイントの少しすり減ったサッカーシューズを履いていることである。濡れたクレイは問題ないが岩の上は滑り易いかも知れない。




「孫と九重山群へ」(2)_f0201348_20513683.jpg 彼の登山歴は私達と重なる。
3歳になって直ぐ、福岡市近郊の大楠で有名な“立花山”へ連れて行ったのが始まりである。途中で愚図りだし路程の1/5ほどは抱っこして登った。
その後、5歳の時には“久住山”。「まだね!」、「まだね!」の連続には閉口したが、結局は自力で山頂に立った。
そして、1年生の春には残雪が深い中岳へ挑戦し、雪と戯れながら寒風の厳しい山頂に立った。そして、今回の一泊二日の九重山群である。




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 諏蛾守越” に着くと、老人会らしき10人超のグループに日蔭を占領され、仕方なく肩身を狭くしながら腹の足しに各自お握りを1個頬張り、私のザックを表示板の下にデポし、SDのザックに貴重品と水を入れ早々に“三俣山”の斜面に取り就く。

「孫と九重山群へ」(2)_f0201348_2192776.jpg 孫の足の運びは淀みなく、息つきに何の変化もない。問題は抑揚しがちな気分のみと、SDと挟みうちにしてぐいぐいと引っ張って行く。
そして、あっという間の25分で”三俣山”西峯に立ち、山頂標識に取りつけられていた温度計を見ながら「23度だ!」と大きく叫び私達を見る。座り込むこともなく得意満面で被写体に納まる孫を見て、私の厳しい口調も間違ってなかったと確信する。

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by 1944tourist2004jp | 2015-08-12 20:40 | 山登り


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