「徒然なるままに」

 “老生にとって余生を従容として俯瞰的に過ごしたい”と思う、となれば三途の川を既に渡っているかのようであるが、渡る前にこうなりたいものである。
 2・3年前か、「どのように死を迎えるか」とのTV番組で観たような気がするが、人生に悔いを残さないように精一杯生きてきた昆虫学者他の養老孟司先生のように達観することはできない。しかし、凡人にできそうな気がするのは、今をしっかりと生きると言うことではないだろうか。これは曽野綾子さんが仰ってたことだが、「動くこと、楽しむこと、そして喜ばすこと」に努めなさい。喜ばすことを知らない人は、常にして貰うことを考えているのできりがなく、ストレスが溜まる老後であると。
 ここ数年、終末期の医療に対する批判本が出ているが、私は前々から医療の進歩に逆行するように、病院には可能な限り行かないし、処方された薬も極力飲まないことにしている。要するに自然治癒力に期待する人間である。
 そして、3年前の母親の死を経験して、終末期の過剰医療により一層疑問を持つようになった。
決して若返ることができないように、加齢から来る病気には逆らわず甘受する方が良いのかも知れない。それが天寿なのだろうし、財政難で苦しむだろう次代への最後の、私にとって唯一の貢献かも知れない。
 気になるのは痴呆に陥って、自分の意思に相違して寿命を延ばされることである。
その為に血管障害から来る脳疾患だけは避けたいと思い、年1回の健診ではがん検診を受けず、一般健診だけにしている。

 先日櫻井よしこさんの講演をSDと聞きに行ったが、本当に素晴らしかった。
かねがね彼女の著書は読んでいるし、TV番組もほぼ観ているので講演内容は既知のことばかりであった。
しかし、古稀を前にした女性にあって、柔和な身のこなしにして、余りにもか細く優しい声と微笑みから発せられる日本を憂える言葉は本物である。時に過激であり、時に冗談を交えての1時間40分、切れることなく噛むことも無く流れるよう語りかけられた。
反面教師として大尊敬する田島陽子大先生と対極にいらっしゃるジャーナリスト、SDも相当満足の態であった。若者に是非聞かせてあげたい。

 長梅雨の後の夏日も束の間、梅雨に逆戻りしたような鬱々とした日々、余りにも寂しい蒼穹に爽やかな風をお願いしながら・・・・コミュニティーをお世話する側としてそれなりに忙しい。

 ”雑草天国の菜園便り”として、夏野菜にも触れておかなければならないだろう。
休耕田を利用しているので暗渠を通じて上の田んぼから滲み出てくる水に、今年は一時の夏日を挟んで雨ばかり、菜園は乾く暇も無く、トマトは勿論のこと殆どの野菜が不作であった。
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by 1944tourist2004jp | 2014-08-28 16:39 | その他 | Comments(0)
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