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「屋久島紀行 No.17」(縄文杉との対面)

 お伽の小屋を写真に収め、喉を潤すと直ぐに出発。小屋の横を登り、下りに入るとものの10分程度で木段に出くわす。
観覧のテラスに、朝陽に妖光漂う「縄文杉」は私達に気配を感じているかのような空気感が漂う。寂寞とした中に私達だけが広いテラスに立ち、灰白色の「縄文杉」の前で厳かに手を合わせ拝礼をする。
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 樹肌のごつごつとした瘤の一つ一つが叡智であり、その泰然とした佇まいに神秘を感じる。
老樹の例に漏れず、太い寸胴の幹が天に向かい、ある時自然の厳しさに打たれ、またそこから新たな生命を育み数本の幹となって、また天に向かっている。
黙していると、上から凝視され己が矮小化されているようにも感じる。

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「屋久島紀行 No.17」(縄文杉との対面)_f0201348_14522218.jpg 梅原猛さんが仰るように、確かに神が住んでいるのかも知れない。江戸期に、樹肌の異様さから製材に向かないとの理由で切り出されなかった聞いているが、厳かに佇む木に神を感じて伐採できなかったのではないかとも思う。「縄文杉」の存在が、山全体を御神体と崇める所以ではなかろうか。
 因みに、杉の瘤は菌によるDNAの変異とも、傷の瘢痕形成とも、糸条菌とも云われているらしい。何故か分からないが「ヤマグルマ」は瘤を避けて巻きつくらしい。と言うことは糸条菌かも知れない。
 今、私達3人の贅沢な時間であるが、「連休中は1300人が連なり、かなりの待ち時間で写真も満足に撮れなかった」と聞いている。
「縄文杉」を前にして妻がビデオを撮っている間、私は彼の登山歴と人脈について一頻り話を聞く。序に、島津さんが受験に失敗した若者を案内した時、縄文杉を前にして「心の迷いが一気に消失した!」との逸話を語ってくれた。
 「普賢岳」から雲に隠された「平成新山」を見た時同様、亡くなられた登山画家の「犬塚勉」さんに手を合わせていたせいか、素晴らしい「屋久島紀行」の恵みを頂いている。ブログを通じて天国の彼に素晴らしい写真をお見せしたいと思うが、素人写真では中々と難しい。

20分も経っただろうか、中年の男性が息を切らして観覧テラスに登って来た。札幌在住の方であった。
最後に3人で記念写真を撮って、「縄文杉」の前で至福の時間を過ごせたことに感謝して別れを告げる。優に30分は居たかも知れない。
 最後に梅原猛先生の対面時の言葉を紹介しよう“二度と来るまいと思った厳しい山道を経た後に対面した縄文杉に、「それは木でなく、神様でした。実際に神を見たことはないが、何千年も生きた巨樹は神さびていました。巨樹は七千年の齢に耐えて、神のいる天に連なり身じろぎもしない。」、「樹は今も、生と死、若さと老いを豊かに抱えながらはるかな時間を静かに森に溶かし、その長い生命をたおやかに生き続けている」”



『「屋久島紀行 No.18」(巨大杉群)に続く・・・』
※「屋久島紀行 No.1」から読む時はこちら
by 1944tourist2004jp | 2009-10-01 21:39 | 山登り


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