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「蝉」

 週2の朝のゴミ出し。
外を掃いていると、いつから朝の喧騒が失くなったのだろうか、車の走行音とポロポロと鳩の呼ぶ声しか聞こえない。


f0201348_9454415.jpg 何とも去り際の見事な蝉たちである。数年間土の中で成長し、青空を見る一時は僅かな樹の蜜を吸いながら繁殖期に忙しく精力を使い果たす。
豊かな地球の資源を貪る人類の知り得ようの無いことだが、数年に渡って土中で待っている時は一瞬の青春も知らず、ただ体内時計と地温で外の世界に飛び出す時を待っている。そして、青空に目一杯羽根を広げる時は、ただただ繁殖一筋である。私達との余りの落差に言葉がない。
繁殖能力が亡くなっても、他の生物達を絶滅へと追い立てながら生かされる世界が待っている私達。
 と、数日前にPCに書き留めていたが、今朝の新聞に「死ぬためにただ死ぬために蝉生まれ」との川柳が紹介されていた。
この「編集手帳」は蝉のはかない生命をいとおしむ眼差しを引用し、障害者施設等の悲惨な事件や河川敷で見つかった16歳の少年の死を悼んだものである。
この17文字に私の言いたいことが全て抱合されているようで、今更ながら俳句や川柳を育んだ日本の言語と文化を称賛したくなった。
 残念ながら、7月12の「雨上がりに」のブログの写真以外蝉の撮り駄目は無い。







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by 1944tourist2004jp | 2016-08-31 08:03 | 雑感 | Comments(0)

「ヘリコプター体験搭乗」

 いつものように7時起床、洗顔後ケージを掃除するためにインコを部屋に放ち外に出る。
台風と停滞した前線により雲が張り出し、いつもの“カッ”とした陽射しは無く、柔かな、そして涼やかな風が心地よく身に纏う。虫の声を聞くのも間もないことだろう。
 今日は駐屯地でのヘリコプターの体験搭乗である。
さほど長くない人生に、私がヘリコプターに搭乗する機会を想像すると、登山時に不測の事態が生じて緊急ヘリで運ばれること以外考えられない。


f0201348_13115950.jpg 同伴者が許されていたので、勿論搭乗経験の無いSDと一緒に午前8時40分に駐屯地正門に車を乗り入れ、いつものように厳しい検問と丁重な対応で本部の控室へと案内される。入室前に”真夏の集い”で同じテーブルとなり夫婦同士で顔馴染になったMさんと挨拶を交わす。奥さんは遠慮するとのことでお兄さんを連れて来られていた。
前から2列目の椅子に並んで座っていると、偶然にも“ひょっとこ愛好会”の市会議員が後ろから声を掛けて来る。今日は別件だし他に連れもあることだろうからと話しはしない。

 ヘリコプターはUH1。武器の禁輸により生産機数が限られているので、民生用の3倍程度の13億円と相当割高らしい。因みにオスプレイは6・70億円とのこと。また、1時間飛行で燃料はドラム缶1本半、但し燃料費はガソリンの1/5とのことであった。
 「今日は佐賀県の目達原駐屯地から10分程度で飛んできました」と、聞いて直ぐに思い出したのは、過去に駐屯地でお世話になったことである。
横道の逸れるが、子供達が幼・小・中学生の頃”吉野ヶ里”遺跡に連れて行った帰り、桜が今日この日とばかりに綺麗に咲き揃っていたので入らせて頂き花の下で弁当を食べ、厚かましさ序でに眼に入ったテニスコートの使用を尋ねると、快い返事を貰った思い出の駐屯地である。



f0201348_1251790.jpg 参加者34名は搭乗時の諸注意を受け、5班に分かれて15分程度の体験飛行をする。私達は招待された市会議員等の次の2番目(7名)のフライトとなる。
 待ち時間は控室で、花子とアン(にじいろ)、朝が来た(365日の紙飛行機)など朝ドラの主題歌に乗せて、スーダン平和維持活動、大雪時の給水活動、そして熊本大地震の応援ビデオを観る。ご苦労な任務ばかりである。

f0201348_12513814.jpg フライトに合わせたように前線が退き青空が広がって行く。認識票96と97を首にぶら下げ、エンジン音と土煙の中を機内に入る。私達は運よくパイロットの直ぐ後ろの2席へ。轟音はそれなりだが、耳を近づけて話せないことは無い。
 駐屯地からA市、旧T町、そしてK市を周回するコースである。近隣の山並みや尾根筋は遠景にあり分かりやすく、その高さから飛行高度は600m前後と想像はつく。しかし、速度は全く分からない。
着陸時、三佐と三尉の二人のパイロットにお礼がてら尋ねると200km程度とのことであった。


 安定したフライトとヘリコプターから初めて見下ろす下界の景色に気を取られ、あっという間の15分間であった。SDも何の不安もなく笑顔で「一瞬でふわっと浮かび上がり、美しい家並みや田園の風景良かったね!」、と嬉しそうであった。下界の建物や田園はどの辺りか全く分からなかったが、帰宅後に写真と動画を見るとビール工場や大型店舗等当然ながら知っている場所ばかりであった。
 控室に戻り冷えたお茶と飴玉をしゃぶり、モニターとしての体験飛行を終える。
諸注意の中でヘリコプターや下界の写真はSNSに出して欲しくないとのことであったので、全体写真とヘリコプターの遠影、そして私の認識票だけを載せる少し寂しいブログとなってしまった。
 自衛隊の皆さん有難うございました。





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by 1944tourist2004jp | 2016-08-27 12:47 | その他 | Comments(0)

「ひょっとこ愛好会を退会」

f0201348_21925100.jpg 23日の練習日をもって「Rひょっとこ愛好会」は解散し、次月よりH小校区公民館のサークル活動へと統合されることになった。
そして、私は今日25日のH公民館での練習日に、ここ数回最後尾を相前後して踊っていたY会長へ“日向ひょっとこ夏祭り”の写真にお礼の文章を添えて、サークル活動からも退くことをお話しする。
昨年の7月に始めて13か月後の今、先導する“キツネ”やお淑やかな“オカメ”と違い、後に続く“ひょっとこ”の魅力をやっと分かりかけてきたところである。
 ネットで保存会の模範演技や夏祭りetc.を観たり、また自分なりに「如何に観客に笑って貰い、子供達を喜ばせるか」と、踊りを工夫しながら練習していると、下手は下手なりに分かって来るものである。
また、狭い部屋で、しかも如何に効率的に練習すれば上達可能かと考えた1年でもある。分かったことは、練習方法によって1日に精々5分も練習すれば、名人に近づけなくとも底辺の仲間入りは可能だということである。
 夏祭りや老人ホーム慰問での俯瞰的な自分の踊りは、正調“ひょっとこ”から程遠いかも知れないが、「ご老人や子供達にそれなりに喜んで貰えた」との自負が、早合点と分かりつつも自信になった。


 その魅力を知り得た今、このまま残り少ない余生から捨て去る積りは毛頭無い。
そのきっかけを作って頂いたFさんには感謝するが、ご自分が習っている先、或いは保存会と揺れ動く朝三暮四的な指導で”3歩進んで2歩さがる”現状に限界を感じている。
保存会の方々は基本をマスターした上で面白可笑しくと枠からはみ出した踊りであることを理解しなければならない。
私が指導者に求めることは、保存会が出している基本動作のビデオのみで教え、随時個々の身体的個性を理解した上での踊りを尊重してあげるようにしないと、皆さん方嫌気がさしてくるのではないかと危惧している。観客を喜ばせ得る個性ある集団の愛好会であって欲しい。
 私は、「一つ借りをかえせたかな!」でも書いたように、「スポーツや芸術等全てに於いて基本が非常に大切であることは論を待つまでも無いが、田楽や祭礼の道化師的存在と知れば、私は観る方々を喜ばせるスタンスで個性を大事にしたいと思っている。72歳(!)の初心者にして生意気であるが、主張したい動作を織り交ぜながら黙然と練習の列に従っている」と、家では基本練習をして我が道を貫いていた。

 27日は市民祭り、人伝にどこかの愛好会が駅前広場に繰り出すらしい。


f0201348_218224.jpg そして、27日7時半予定の”ひょっとこ踊り”に間に合うようにと、7時過ぎに駅前大通りを交通封鎖した会場へと入って行く。
地元の太鼓愛好会の演奏3曲、透き通るような音色の横笛とコラボする和太鼓の壮大な音は、いつ聞いても胸を打つ、やはり日本人である。
 ひょっとこ踊りが始まるまでの間、出店など雑踏をうろちょろすると、自治会長時代の監査のKさん、今日お世話になった自衛隊広報課のKさん、そして”Rひょっとこ会”のFさん、そしてM1行政区で踊った時の区長のTさんにお会いする。
全て相手さんからのお声掛け、何とも目立つ髭である。
 予定より30分遅れてテンテコテンのリズムが鳴りだす。道路の中央を20名以上の方々がうねり踊る。毎年恒例の”ひょっとこ会”らしいが、観客の皆さん方は少しでも近づこうと踊り手へ接近していくが、何の違和感もなくお互いに握手したりおどけたりと楽しんでいる。祭りでの踊りはあくまでも観客が主役、踊り手も型に拘泥することなく余裕をもって踊りたいものである。
背中を見ると、如意輪寺の風鈴祭りで踊られた愛好会の方々であった。
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by 1944tourist2004jp | 2016-08-25 14:39 | 趣味 | Comments(2)

「平成28年3回目の夏祭り」

 来年の農作業の参考に書き残して置きたい。
f0201348_993517.jpg猛暑に隔日菜園で収穫と水遣り。ネットのキューリは3本とも既に枯れ落ち、今ではアップルゴーヤも日に2・3個と少なくなりつつある。代わって若干苦味のある濃緑色の細長いゴーヤが点々ネットにぶら下っている。
「日に2回収穫できる」オクラは10数本、そしてピーマン類は赤と黄色のカラーピーマンを細々と、ベーナスは思いの外に長く収穫できている。

 今日20日は今年3回目の夏祭り、同じ小校区の三沢神社である。
5時過ぎまでの暑い盛りは室内で、孫は夏休みの宿題と借りてきたDVD。SDが主婦としての仕事に追われている中、私はネットで時間潰しに囲碁や麻雀を楽しむ。
 先日、「勝負事は下駄を履くまでわからない」との言葉を実感した。私は相当沈んでいて、満願以外では“ケツ”を免れることの無い“オーラス”、

ここまで書いているところで※オリンピック男子400mリレー、米国を差し置いてジャマイカに序で堂々の銀メダル:ついつい応援の声が大きくなり過ぎたが許して貰おう!万歳!万歳!万歳!夢が広がるTOKYO五輪※

 リオ・オリンピックでの日本の活躍は目覚ましい。
金メダルを量産している柔道やレスリング、そして男子体操やバトミントンで「君が代」聞く機会が非常に多く、孫達も教えられること無く自分の国の栄誉と同時に“日の丸”掲揚と「君が代」を聞くことにより、愛国心が増すことだろう。
”愛国心”と言うと、直ぐにノイジィー・マイノリティーが目を剥くかも知れないが、親兄弟を愛するように国家を愛することに何の違和感もなく、己のアイデンティティーを確認するために必要なことである。


 麻雀の話しに戻して、10巡目で「ホンイツ・ハツ・ドラ1のイーシャンテ」、そして私より持ち点が7千点ほど多い3番手の親がリーチ。これで万事休すと思っていると、私の“カミチャ”が2巡後に突然のツモと同時にシンバルのような音。見ると“国士無双”の役満である。お蔭で私は辛くも3番手となり、1800点台を維持することが出来た。




f0201348_9104134.jpg 陽も陰らない5時過ぎ、ビーチサンダルを引っ掛けひょっとこの衣装等を入れたナップサックを肩に、神社へと汗の20分。
到着すると直ぐに差し出されたお弁当を食べ、2演目後のフラダンスが終わるとひょっとこの衣装に着替える慌ただしさ。
 今日は”ひょっとこ大会”ではないので自由に、大袈裟に思う存分踊ることを心に決めて臨む新米ひょっとこ。おばさん達には腰を振り、子供達には“髭ダンス”風に両肩をすぼめながら近寄って行く。
 お母さんに抱かれて泣く幼児にはお面越しに「ごめんね!」と声を掛け、小学生には極力顔を近づけ喜びの雰囲気を共に味わう。
「肢の毛でおじいちゃんってすぐ分かったよ」と言う孫にも2回ほど大接近して終了。
22日には緑寿館に続いて、老人ホームで予定が組まれているがどうしても都合がつかない。

 晩酌のウィスキーの美味しい事!4杯でかなり酔いがまわり、400mリレー金メダルのビデオを数回観た後、ネット囲碁でぼろ負け。そして孫と花火。

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f0201348_9273769.jpg 翌日、「上野盛果園」へ孫を連れて行く。
毎年盆明けに訪れ親戚や友人へ送ることにしているが、今年の巨峰は暑さ続きで散水が大変とのことであった。
例年のことであるが品質は良く、小粒ながらとりわけ甘味は素晴らしい。
帰り際に巨峰ワインを頂く。有難うございました。


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by 1944tourist2004jp | 2016-08-21 09:49 | 趣味 | Comments(0)

「自由絵日記に山登りを」(3)

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f0201348_15303616.jpg  30分の山頂休みで11時45分に下山開始。

f0201348_15311520.jpgRちゃんは山頂へのゴロ石の厳しい登りに、「登りより下りが怖いね!」とよく分かっている。ある時は石に座って滑り、ある時は両手を十分に使って、見ていて安心できる下りである。Mちゃんも教えなくとも自然に熟している。
 二人は色んな人々と一期一会の挨拶しながら12時30分に避難小屋に到着。
そして、星生崎も難なくクリアーして平坦な山路へ、二人は付いたり離れたりとそれぞれに主張があるのだろう。離れた時はいつもどちらかがSDに寄り添い、従妹同士ながらお互いに二人の世界が出来上がっているようだ。
 低学年時代の僅か数場面しか記憶が無い私はかなり幼かったように感懐するが、色んな媒体を通じて知らず知らずのうちに情報を得ている今の子供達はどうなんだろう?横並びに幼かった私達、そして横並びに相当早熟な今の子供達、比較のしようも無いがどちらが、社会性豊かに育っていたかと言えば私達の時代かも知れない。



f0201348_15322969.jpg 星生山との分岐点に差し掛かる頃、私の右の靴のソールが剥げ落ちそうになる。往路で投げ捨てられたソールをMちゃんが見つけて、このようなこともあるんだろうと思っていたが、まさか自分自身に災難が降りかかろうとは想像だにしなかった。
 山登りの時に常に医療用救急品(湿布スプレーや消毒薬・包帯、三角巾、バンデージ、そしてこむら返り用の芍薬甘草湯etc.)や応急処理用具(靴紐、ガムテープ、ビニールテープ他)を入れているので、道傍でビニールテープと紐で応急処置をし、行き交う人から奇異な眼差しを向けられるかも知れないが、跛行せずに下山出来そうなほど固定できた。
2・3回であるが、困った人に利用して貰ったこともある。山は自己責任と助け合いである。
 下山後、我が登山靴を見て余りの劣化にSDと顔を見合わせる。6年前に末娘にプレゼントして貰ったイタリア製の登山靴であった。娘と酷使した靴に感謝の一言、有難う。

f0201348_19143264.jpg 二人の下山路は駐車場でのソフトクリームを約束すると、呟くことも無く大人のようなスピードで下って行く。
沓掛山からは2人が先導し、振り返りながら「あの二人遅いね!早く」と言いながら、膝関節痛を思わせるような女性二人を差し置いて走り下る。何回注意してもソフトクリームには敵わない。
 私も登山靴の応急処置で、14時20分に難なく駐車場まで下りて来る。
孫二人は5時間10分(SDの万歩計によると1万7千歩)の久住山を楽しんでくれたようだ。そして私達もM&Rの同伴は思ったより楽だった。
 帰りは”涌蓋山”の登山口がある筋湯温泉の“うたせ湯”で、汗を流し、そして存分に疲れを癒して玖珠ICより高速に乗って帰途に就く。
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by 1944tourist2004jp | 2016-08-18 15:37 | 山登り | Comments(0)

「自由絵日記に山登りを」(2)

f0201348_13122837.jpg 今朝は炎天下に一汗、2人を連れて畦の散水と収穫。
雑草は一面我が物顔に伸び放題。ゴーヤは黄色に、オクラは太くなり過ぎ、畝はマルチをした上に苗の周囲を枯草で覆っているのでさほどでもないが、水を欲しがるカラーピーマンは相当に干からびていた。f0201348_13134452.jpg









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 駐車場は2/3ほど埋まっている。
いつもなら老成達に占領されているが、流石に夏休みとあって小さな子供連れも目に付く。
先ずは、竈炊きのご飯と同じで最初は歩調をできるだけ遅くすること。そして、決して急がず足元に用心すること、30分間隔で補水休憩を取ることを言い含める。
その上、安直で気忙しい己へ、もしものことがあれば無理せず引き返すことを言い聞かせる。


f0201348_1332224.jpg 8時10分牧ノ戸峠に到着し、半に登山口に就く。計画は12時に山頂でお昼をして、15時に戻って来ること。
 M&Rに「まだ~?とか、あとどのくらい?」とか聞かないことを約束させる。足取りには一貫して問題はないが、初めての長距離登山で心理的なものか、腰が痛いだの足が痛いだのと若干の不満を呟きながら、SDに交互に手を引かれて歩を進める。
 最初の展望台から眺望する由布岳は全く見えず、沓掛山からの阿蘇五岳も高岳が雲海にやっと顔を見せる程度で、目的の山頂は全く見えない。
然程に遠望の利かない尾根沿いの退屈な道に、山歩きの注意をしながら淡々と歩いて行く二人。
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 扇ヶ鼻の分岐点で2度目の休息をする。しかし、止まると汗が寒さを呼び、二人とも「もっと!」とは言わず5分程度で歩き出してくれる。
そして3度目の休息は久住山を真正面に拝む平坦な西千里ヶ浜沿いの山路。子供達に先導させるとペースが速くなる。
そして、星生崎直下のゴロ石のアップダウンを一気越え、10時30分に避難小屋に出る。

f0201348_13243720.jpg 山頂までに一度休息する予定であったが、ひょんなことから山頂まで休まずに登り詰めることになる。Mちゃんが「Rちゃんは2回も先頭を行っているのに自分は1回も無い!」と涙ながらに訴えたからである。

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それで、Mちゃんを先頭に立てると、RちゃんやSDのペースも考えず黙々とゴロ石の道を登って行く。途中、1回足を止めるが、私が「一番乗りするんじゃないのか」と声で後押しすると、大きな石に手を使いながら息を弾ませぐいぐいと山頂に迫る。
そして、登り始めて2時間45分の11時15分に山頂標識を抱いたMちゃん。
数分遅れでRちゃんとSDが到達。他の邪魔にならないようにと北壁に近い方で二人はお握りを頬張る。f0201348_13282225.jpg

 SDは途中お腹がすくだろうからと用意していた味パンを車に忘れ、私は二人が喜ぶだろうと、一昨日より凍らせていたゼリーを家に忘れる。何とも始末に負えないおじいちゃん&おばあちゃんである。f0201348_13284135.jpg
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by 1944tourist2004jp | 2016-08-18 13:33 | 山登り | Comments(0)

「自由絵日記に山登りを」(1)

f0201348_8245194.jpg 炎暑の墓参り、「生花は直ぐに萎れるだろうから」と、SDは涼しげな水色と白を基調とした造花を買い、私は酒のみの親爺と兄貴のためにそれぞれに1合瓶を2本買う。勿論、拝んだ後は持ち帰り私の晩酌となる。
そして、99歳で亡くなったお袋の「もう、いいよ!」との言葉を無視して、延命治療に走った責任を痛感している私は、墓前でいつも「安らかに」にと深謝している。
 山裾に造成された墓苑、この暑さに生花はやはり少ない。
焼けるような墓石を少し乾拭きし、敷石に散水し、線香を置き静かに手を合わせる。
墓参者が少ないのを尻目に、美しい青空を見ながら“テンテコテン テンテコテン テンテコテンテコテンテコテン”と笑って貰う。
 後、実家へと20分程度の距離。いつもなら実家で酒を酌み交わし歓談した後にSDの運転で帰るのが常であるが、混雑する都市の道路と高速を敬遠するSDでもあり、また翌日に子供達が孫を連れて来るので、その準備もあり早々に引き上げる。
「酒飲まないですか?」との嬉しい姪の言葉に後ろ髪を引かれる思いもするが、1割負担の前期高齢者は自重する道も知らなければならない。本当のところは先日の深酒が脳裏を霞めたからである。


f0201348_9324349.jpg 新一年生の孫娘二人が今回のお泊り。私達にとっても、また孫二人にとっても素晴らしい夏休みの思い出づくりだ。
4年生の男の子は、保育園時代から九重山群に連れ出していたが、孫娘達は低山逍遥のみで今回初めて深山に入る。
 黎明の4時半起き、準備をする前に「空模様は如何?」と空を見上げると、何ともすっきりとしない。
新聞の予報欄は“曇りの後雨”。SDに「今日はプールにして山登りは延期しよう」と言うと、即「そうね!」との反応。熟睡していた二人を起こして「今日は天気が悪いからプールにしよう」と持ちかけると、遊ぶことに異論があろう筈もなく、「いいよ!」と喜色満面の二人。
 10時開園の流水プールに間に合う様に早々に出かける。先日連れて行った男の子は「プールの底に水中メガネやキャップが落ちてるよ!」と楽しんでいたが、今回はMちゃんの抜けそうな乳歯が物の弾みで抜け落ち、流水プールの落し物となってしまった。
誰にも見つからないだろうが、偶然見つけた人は驚くことだろう。
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f0201348_8484777.jpg そして、今日も昨日に続いて4時半起き。
一番楽な“牧ノ戸峠”から尾根伝いに雄大な山群を見ながら久住山に連れて行く予定である。
“日向ひょっとこ”夏祭りの時に、松原ダムの所が通行止めになっていることは分かっているので、若干遠回りになるが九重ICで下りて飯田高原経由で“牧ノ戸峠”へと向かう。
 気疲れと暑さ疲れに美味しくウィスキーを飲みながらブログを書いているが、さすが疲れから酔いが早い。

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by 1944tourist2004jp | 2016-08-17 20:33 | 山登り | Comments(0)

「日向ひょっとこ夏祭り」

 日向市を9時に発ち帰福の約5時間半。会長と先生が運転を交代し、私は後ろで昨晩の“日向ひょっとこ夏祭り”について談笑する気楽なドライブである。気忙しい私の運転に比べ滑らかでスピードに変化が少ない非常に優しい運転である。私も見習わなければならない。
「来年はマイクロバスを仕立てて会長運転で10数名で行きましょう」と、昨夜の興奮の余韻を残すかのようなF先生の言葉に会長初め4人に異論があろう筈もない。


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f0201348_9155854.jpg 未熟な私達の教室から8月5日の個人戦出場は無く、8月6日の集団パレードにF先生は“福岡ひょうきん族”の列に加わり、私達4人は個人出場枠の“にわか連“86人の中に名を連ねる。








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 夏の陽射しに一汗掻きながら待ち合わせのF先生宅まで15分のウォーキング、家並みの生垣から覗く百日紅の濃い紅色、淡いピンク、そして純白の花が蒼穹に映え、その美しさが蝉時雨を存分に忘れさせてくれる。約束の時間通り8時に日向市へと先生がハンドルを握る。

f0201348_9302133.jpg 熊本地震で途中通行止めになっているだろうことを想定しながら、日田市から一般道に入り小国経由で“やまなみハイウェー”の瀬ノ本高原、“荒城の月”の岡城を経て、岩峰「大崩山」への分岐道がある326号線を下って延岡市から日向市に入るルートを設定していた。

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 案の定、松原ダム手前で通行止め。温泉地帯に張り巡らされた若干狭い道路を縫いながら、いつしか私がいつも九重連山に入る道路へと出る。
後は一本道。途中、行きがけの駄賃として502号線沿いにある“原尻の滝”に寄り昼食をとる。私は”椎茸のチーズフライ定食”に少なからず満足して後部座席に着く。老生の5人、途中トイレタイムで道の駅に寄り日向市へ一直線、14時20分に”ホテルメリッサ日向”に到着。


f0201348_9353492.jpg 高架となったモダンな日向駅前に在り、更に私の4階の角部屋から会場の舞台が一目に入る。

f0201348_937419.jpg そこから延々とした待ち時間。
6時のパレード開始まで駅前広場のひょっとこ関連の露店を廻り、パレード後の9時半の夕食懇親会までの繋ぎとして、ネムの木立に日陰を求めビールに焼きそばを添えて軽く腹拵え。

           (観光客にひょっとこ踊りの指導)⇒
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 北は北海道から南は鹿児島まで、2千人超の参加者に噎せる会場。
1コース20~30mを7コース踊るが、概算1kmの道程に2千人の踊り手と観光客や応援の人出。予想を遥かに超えての待ち時間に、コース毎にボランティアによるスポーツ飲料と水のサービスを受けるが、茹だる汗と立ちん坊の下肢への負担はそのまま気分を徐々に削いでいく。

f0201348_12142615.jpg 一つの救いは私達4人の前には個人戦で2度の金メダルを獲得したNさんがいる。踊りの合間々々にコツを習い、踊りに魅了されながら、また経験談で決して飽きさせない彼である。
 反面、その名人が傍らに侍っているお蔭で、観客の私達への視線も笑いも拍手も無く、全てを毟り取られ唯々諾々と基本に徹しテンテコ テンテコ テンテコテン。
更に、”にわか連”には一番人気の子供達が後ろで可愛らしく踊っているので、視線の無さを肌身に感じる。やはり囃す観客あっての踊り手であるし、同時に「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」も実感する。
 73歳の名人の薀蓄ある言葉と踊りには余りあるほどの匠さが漂っている。私が一番足りないと感じている「切れと間」を踊りで見せてくれる。そして、指先から爪先まで神経の行き届いた一連の流れるような動きに30数年積み重ねた練習の日々を垣間見る。
また、彼のお面は自分流に特注した恵比寿様のようであり、軽くおどけ顔に品も備えている。そのお面はやはり彼にしか似合わない。
そのお面を撮りたく「宜しければお面を撮らせてくれませんか?」とお願いすると、観る人を喜ばせる精神そのまま、その場でお面だけではなく切り取ったように形(なり)をしてくれた。永六輔さんや曽野綾子さんの言葉通り、73歳にして世の中に借りを返している。
 偶々、彼が片手間で繁殖和牛を飼っているとの話から、共通点を見出した私は、先ず東国原前知事がTV番組(プレバト)で詠んだ俳句を先生が手直しした「ひまわりや 畜魂29万頭」の句を話すと、「いやー素晴らしいですね!」と、当時を感懐するような態で即座に反応して頂き話題が拡がって行く。
 競走馬に匹敵するように遺伝子検査によって厳しく守られる黒毛和種の系統や、家畜法定伝染病による殺処分と移動禁止の範囲を理解しているので、僅か数キロ離れて家族同然の牝牛の殺処分を免れた彼の気持ちを忖度するにつけ、その素直な喜びが手に取るように分かる。私も当時担当していた事業で、本県への侵襲時の実害とリスク管理システム作りに苦労したことを思い出す。


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f0201348_1242741.jpg 最後は観客の待つメイン舞台を全員が踊りきって審査発表に入る。既に9時を過ぎている。朱に染まった最終の審査発表会場に名残り惜しさを落としながら、9時半となっていた懇親会の会場へと会長と人垣を分け出でる。
 N名人が”にわか連”の最優秀賞に輝いたことを特筆しておきたい。(残りの成績は「2016日向夏祭り」http://www.hyottoko.jp/で)





 10時前から“福岡ひょうきん族”の方々7名と合同懇親会、当然のように深夜まで大盛り上がり。
3日前に参加した自衛隊O駐屯地での「真夏の集い」で缶ビール2本飲んで、卑しくも72歳にして冷酒を4合飲み干し、目が覚めると玄関で寝ていた体たらくを思い出し、f0201348_15354299.jpgf0201348_1536050.jpgジョッキの後はお湯7に焼酎3をお隣の女性に作って頂き、二日酔いが出ない程度に杯を重ねた。
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 帰りはほぼ同じルートで竹田へ、途中11時前にSDから”萩野=金、瀬戸=銅”のメイルが入る。道の駅でレモンソフトクリームと”ゆでもち”(ひしゃいだ餡餅)をご馳走になり、往路より1時間ほど早い帰着となった。



f0201348_105432.jpg そして、4時間半後の7時からは先生の行政区での夏祭りの”ひょっとこ踊り”。
珍しく17人の大所帯、開始から間もなくの夕立に、会場を傍らの公民館へと疎開するが、スコールの如き雨上がりの良さで、区民の皆さん初め直ぐに元の公園へと取って返す。
 昨晩から来ているSDの妹もいる中、子供達を極力喜ばせながら、また日向夏祭りで消化不良になっていた分を倍返しにしながらの思う存分に10分間の踊りをする。

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by 1944tourist2004jp | 2016-08-08 09:47 | 趣味 | Comments(0)