「イタリア紀行9」(フィレンツェ2)

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 食後は先ずドゥオーモ広場へ、洗礼堂、鐘楼、そして花の聖母大聖堂とルネッサンス期の建造物が並んでいる。

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 内部は他に比べ華やかさに劣るがクーポラのフレスコ画「最後の審判」は遠目にも素晴らしい。
クーポラの展望台に登らなかったので間近に見ることはできなかったが、望遠を通して撮った写真は心を震えさせるに十分である。

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                         (バッティステロ洗礼堂)
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f0201348_21272137.jpg シニョリーナ広場へと案内されると、ルネッサンス期の芸術家を金銭的に支えたメディチ家のヴェッキオ宮殿とウッフィッツィ美術館が並んでいる。

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 私達が教科書等で見たルネッサンス期の名画が目白押しのウッフィッツィ美術館、2時間の絵画観賞である。
ボッティチェリの「ビーナス誕生」と「春」、ダ・ビンチの「受胎告知」、ラファエロの「ヒワの聖母」、ミケランジェロの「聖家族」、ティツィアーノ「ウルビーノのビーナス」等々、何らかの形で過去に見た絵を目の前にすると本当に感激する。

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f0201348_2141680.jpg 美術館前に陣取る大道芸人の一人。正に微動だにせず置き物のような雰囲気である。
ツーリスト、特に女性がが近づいて行くと少し脅かすような動きをして、ここぞとばかりに客に冠を被せ一緒に写真を撮らせる。見事である。

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 ここで親切な日本人の現地ガイドさんとお別れである。

美術館の郵便局で日本までのエアーメイル切手1.6€(値上げ前の1.2と0.4€切手)を10枚買って早速投函する。
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 次は最古の広場に面したサンタ・クローチェ教会へ。
ルネッサンス期が凝縮された教会らしい。140m×40mと大きく、正面の白壁が美しい教会である。
正面左にダンテの像が立っている。
f0201348_21481597.jpg ここから200mほど奥まった革製品の店へと案内され20分ほど眺めて後、シニョリーナ広場を集合場所として自由行動である。
私達は広場に面したbarに入ってエスプレッソ(初めて飲んだがインスタントコーヒー派の私には決して合わない)を飲み散策に出る。
 ヴェッキオ橋のことを失念して、暮れかかる15世紀の石畳を唯々散策する。そして最後に小さな食品売り場に入り、気の優しそうな店主からイカ墨パスタや乾燥イチジク等、男が中々気付きそうにない食品を袋に詰めて集合場所へと向かう。
 皆さん方は自由散策から集合場所へと特に遅れることもない。フィレンツェの本通りの様な車通りの多い所からバスに乗り込んで3日目の宿へと向かう。
 小さな街の小奇麗な雰囲気のホテルである。

「イタリア紀行10」(ヴァチカンへ)を見る時はこちら

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by 1944tourist2004jp | 2011-03-04 23:48 | その他 | Comments(2)
Commented by dojyou38 at 2011-03-05 17:48
フィレンツェには行ったことがありませんが、
イタリアの古い街の寺院も役所の建物も本当に重厚そのものですね。
イタリアも数多くの戦禍を潜っているのに、あれだけのものが残っているのは建物が石で出来ているからでしょうか。

動かない道化師、地中海沿岸の観光地でよく見かけました。
本物の彫刻のようでした。
Commented by 1944tourist2004jp at 2011-03-05 21:23
dojyou38さん今晩は、
 日本がいくら踏ん張っても敵いそうもない文化遺産です。観光収入は想像を絶するほどではないでしょうか。
 三国同盟でこれだけの遺跡が戦火に合わずに残ったことは不思議ですね。
浅学の私が思うに、欧米人としての宗教上の罪悪感だったのか、京都が残った様にあの時代でも文化遺産を尊ぶ民度の高さがあったのか、ドイツや日本のように徹底抗戦をしなかったのか聞きたいところです。
 これから南の方へブログを綴って行きます。稚拙なブログかも知れませんが宜しければお付き合いください。


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