「ある過剰包装から」

 近年は偽装のオンパレードで、日本の「商道徳」は雲散霧消に帰してしまったのではないかと心配になる。
しかし、警察官・自衛官或いは教育者、また子供達の傷害事件と同様、一部を見て山全体を見失ってはいけないとも思っている。
 公衆道徳の欠如が叫ばれて久しいが、これ等の問題は結局のところ戦後教育の在り方に帰するのではないかと考えている。
戦前の清濁併せ持つ文化習慣の全てを悪として排除された日本、戦後は社会の基本である「道徳教育」が子供達の成長過程であまりにも疎んじてこられたように思う。
「近頃の若者は!」と中高年齢層がよく批判するが、己の姿に道徳の欠片も見られない白ワイシャツにネクタイ姿の中高年が、見渡せばそこら中にいるのも事実である。
 専門家ではないので間違っているかも知れないが、江戸時代には「武士は儒学」、「庶民は仏教」、そして一貫して新渡戸稲造が著した「武士道」なる道徳の規範があったのだろう。
江戸から明治時代にかけて来日した欧米人の大半が「貧しいが、道徳観は高く、清潔で文化程度が高い」と著している。
「道徳の規範を宗教に求めるのが自然である」と高名な方の本で読んだが、浅学の私も何となく理解できる。
 戦後社会が豊かになるにつれ、洋の東西を問わず無宗教の人間が増えつつあることを考えると、翻って考えると宗教は貧しく、苦しく、悲しい社会から自然発生的に然るべき生き方を模索した結果といえる。
そして、今の日本はあまりにも恵まれ過ぎて、「衣食足りて礼節を知る」ほど民度は高くない。
 本題に戻ろう。
食品の製造・流通法の整備について、情報誌を読んでみるとかなりの矛盾が指摘されているにも拘らず、改善は一向に進んでいないようである。
また、それを取り締まる行政も「臭い物には蓋を!」主義で情報開示が遅々として進んでいない。
 食品の場合、極端な偽装以外は表示されたものを鵜呑みにせざるを得ない状況にある。
 例えば食肉について、私達は牛肉・豚肉・鶏肉・羊肉・馬肉なのか判断はつくが、その種類ごとの品質については概ね言われるままである。包装の仕方や加工によって如何様にでもなる。
また、米の産地・品種偽装然りである。陰で生産者が泣いている。
 そして、過剰包装である。
f0201348_1122273.jpg 昨日、娘が通信販売で購入した子供服の商品(2点:180g)が届いた。
まず、驚いたのは過剰包装(ダンボール:11×26×40cm)である。
届いた品物は注文通りだが、届けばよいと問題ではないと思う。
エネルギーや資源の無駄使いである。
 通販業者側にも言い分があるかも知れない。
箱は同じ種類を大量注文すればそれだけ単価は安くなるだろうし、配送業者との契約単価にしても、定型であれば輸送経費をかなり節約できるのかも知れない。etc.
しかし、今回だけは驚きあきれてしまった。
観光地の土産の底上げや菓子類の過剰包装とは別の問題、大げさに言えば驚愕の包装であった。
「百聞は一見にしかず」で、写真を掲載して置きたい。可能ならば、そのからくりを通販業者に一度訊ねてみたい。f0201348_11233216.jpg

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by 1944tourist2004jp | 2009-06-14 10:00 | 雑感 | Comments(0)
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